神さまは、石に宿る。

自然石や玉石などに宿る神霊に対する信仰。石神ともいう。原始土俗宗教の一種であり、世界各地にみられます。
石を神として尊信するわが国古来の風習は、その一部を海・水の霊威に託し、波濤の底から浜辺に打ち寄せる奇石を、威霊の呪力によると考えました。沖縄県では、大昔、大空を飛来し、風に乗って常世国から漂着した神の石や、土中・砂中から現れ出た石などを、それぞれ護国・厄除け・授福の神として、その霊力・呪力を信じ、祀り仕えています。井戸べりに祀られる石神はつねに異形の鍾乳石であり、家の神でもある火・雷の神は3個の石で象徴され、一列の状態か鼎足形に据えられています。

石神の霊力

『出雲国風土記』楯縫郡神名樋山には、石神と小石神が100余もあり、古老の伝えに「天御梶日女命、多久の村に来まして、多伎都比古命を産み給ひき。その時、教し詔り給はく、汝命の御社の向位は此処に坐むと欲すぞ宜き、と詔り給ひき。いはゆる石神はこれ多伎都比古の御魂なり。旱に当りて雨を乞ふ時は、かならず零らしめ給ふ」とある。『日本書紀』垂仁紀にも、任那の村で祀る神は白石で、美しい童女となり、うまい食事をつくる。日本に渡来して比売語曽社の祭神になったと伝えています。
神あってこの世に降る縁の石を、足跡石、休み石、降臨石、神向石、神像石などとよび崇めます。古歌に類歌の多い「渚に拾ふ玉」も、常世魂の成長につれて体内に宿り込む魂の象徴である小石・貝などをいう。正月などの若水汲みの際に、黒石・白石を川・海・井戸などから手桶の底に沈め迎えて、歳神の神体とし、これを出産時にウブタテ飯の頂や膳の上に迎える習俗があります。これは、産石、すなわち一つ一つの石に対する石生誕系統の信仰で、このほか各地に石成長・石分身系統の信仰も生じ、熊野・伊勢の信仰者が盛んに喧伝しました。人々は個々の形・色・紋様などから神秘を感得し、石を通して神をみ、石の中に霊力が宿ると信じました。
石の上に立って足踏みをし、「魂よばい」をする魂覓ぎ・魂招(たまお)ぎの呪術女神が玉依姫であるが、『出石物語』では、御祖神が、玉依姫の資格に取り扱われている。御祖神が伊豆志河の石を塩で和えて、竹皮に包んで呪うのは、霊魂とみなした石に呪いをかけると、目的の霊魂・肉体がその影響を受けると信じたのです。
たとえば、家の礎石をフセ石、ジブク石とよび、土台の下になるものを敷石、柱の下になるものを築石というが、これらに青石を用いないのは、青石には神秘力が期待されないせいである。また、屋根の重しにのせる石をオセイシ、ヤオモなどといい、神石の扱いをし、この石が落ちると不吉の兆しとするのは火事を忌むことに発し、その場合にはすぐに水をかけるか、女の腰巻にくるんで持って上がれば火の祟りがないという。この石の支えの横木が石持・ヤアラなどである。
長寿・豊饒・情愛の常世国からの霊魂の象徴とする白石を、オシロイ石・米石などと名づけて忌みます。白石を屋根石に用いると子が夜泣きすると伝え、赤石を拾って戻ると火事・雷・赤鬼・天狗などの災いにあい、母親の乳が腫れると戒める。こうした石は、通例、神の石であり、その清浄なるがゆえに忌まれました。

ニューギニアでは、石に宿る霊力をウァロポとよび、石が年を経るにしたがい、超人間的呪力をもつと信じられています。それに物質としての呪力ソイミが加わると、集団の平和・食糧・成功・健康などを自由になしうると云われます。村の首長が石を守り、儀礼を行い、香を捧げ、祓いをする。この石によって雨と子孫に恵まれ、動植物の繁殖がもたらされると云われています。

 

国際百科事典より多数引用しています。